マーチングフリーマガジン|Laundry day! vol.3|

Vol.3 2022 Spring Laundry day! marching free magazine TAKE FREE 「人生の最強の時間を残したい」 ビデオグラファー 原口 昌樹さん T O P I C S WGI挑戦者たちの「今」 VESSEL indoor drumline 2022 中嶋航佑さん×西村しゅんさん 「バンドディレクター特集」 Re:Z⓪NEs™ 代表 森 匠勲さん 湘南ドルフィンズ 代表 西貝 成一さん FUKUOKA DreamScouts performance corps 代表 池田 峰貴さん DCI&WGI マーチ後の「今」 SENDAI Verdures 代表 相沢 茂紀さん チーム立ち上げに挑戦する「今」 HOT KINGS 代表 山村 陽平さん Project Gluon. 始動 企画者 小林 直樹

公式HP YouTube Twitter Instagram Facebook ここにシカない出逢いを T itter Instagra Facebo k 出逢いを 6%。 これは、10年後に会社が残っている確率だそうだ。 突然なんの話かと思われたと思うが、まあ聞いてほしい。 ある調査で、10年前にあった全国の会社を調べると、そのうち94%は潰れていたという。 統計の取り方で変わってくるが、いずれにしても、 過半数の会社は10年後にはなくなっているのだ。 そして、あるコンサルタントの意見だが、 生き残る6%の会社の特徴に「変化すること」があるという。 強い会社でも大きい会社でもなく、柔軟に対応できる会社こそが生き残る条件だというのだ。 会社とマーチングを単純に比較はできないが……、 「マーチング」というジャンルが、10年後にどうなっているか? 私たちは、マーチングを今の数十倍の規模のジャンルに伸ばしていきたいと思っている。 そのためにはどうするべきだろう? 私たちの答えのひとつが、時代に合わせて変化していくこと。 SNSでの発信はもちろん、スリークロスなど各イベントでも みんなが楽しめるような仕掛けを色々と取り入れている。 当然その中には失敗もある。 でも、変化し続けていれば、未来はきっと明るい。 リビングの大型モニターで、家族がマーチングを楽しめる時代だって夢じゃない。 野球・サッカー・バスケに並ぶジャンルにもなりえる。 ぼくたちは、信じている。マーチングの未来を。 キミは、信じているか? マーチングの未来を。 さあ、2022シーズンの開幕だ。 Laundry day! marching free magazine Text : Kei Tsurumaki

東海地区のマーチングバンド“THE FOCUS”のビデオグラファーで、 XCTでも映像配信から撮影まで幅広くこなす 原口 昌樹さん(MASAKI WORKS)に迫ります! M A S A K I H A R A G U C H I SENDAI Verdures Lifeguard Vic Firth 北海道出身。 2003~2005, 2007~2008 SENDAI Verdures 2017~2018 Lifeguard II 2019~ THE FOCUS MASAKI WORKS名義でフリーランス映像制作者として活動 原口 昌樹 のぞき見! Twi tter 人生の 最強の 時 間を 残したい 幼少期に始めた天体観 測がきっ かけで、宇宙の写真を残す為 に 一眼 レフ カメラでフィ ルム写真を撮り始め たんです。 それからは社会人になる ま でずっと写真を撮っ ていました。 映像を始めたのは、 Niko n の D90を購入してからです。 JICA (国際協力機構) の青年海外協力隊 でパプアニ ューギニア に行った際に、 現 地での活動を映像に残すために始め たんです。そ こで初めて、 時間の流れ や人々のモチベ ーションまで全 てを記 録に残すことができる魅力に気が付 き、離れて いる人にも時を超えて届け られる面白さに気が付きま した。 高校時代に同級生からマーチング バンドの話を聞い て知りました。 実際 に見たのは 2 年生の時です。しか し、 やってみた い想いを抱えながらも、 環 境がなく、実現できないまま社会人 になったんです。 やりたい気持ちが再 燃していた頃に、私が路上ライブを していて偶然仲良くなっ 方が、当時 のティンパ ニ奏者 で、その方の紹介で マーチングの世界 に入ってい きました。偶然 が重なって、 今こうしてマーチン グに関 わって いると思うと 運命の ようなものを感じます。 マーチングの映像を始めたのは、 ジンバルという機材を購 入して、 Ⅱ に携わってい た方に相談 したのがきっ かけでした。 マーチングを 始めた 2003年あたりから というスティ ックメーカー の映像を見 て、 ずっとか っこい いと思て いたので、 そんな映像を撮影したいと思って ました! マーチングとの 出会い 写真や映像を 始めたきっかけは?

自然科学的なところから今の感性 が生まれたのだと思 います。元 々自然 が豊かなところに住んで て、できる 事も少なかったので、絵を描くこと や、段ボー ルが満杯になるくらいフィ ルムカメラで写真を撮 ったりして遊ん でいました。 あとはテレビで放映され る宇宙開発の映像を繰り返し見て過 ごす時間が長かった の、映像に 関し てはそこで身に染み付いたものがあ るかもしれませ ん。 自分で意識していることは「普遍 性」ですね。 その時間やその物の良さ が形に残り続けているようなものに 魅力を感じています。 感性の源 人間誰しも「無敵な期間」 ってある と思うんですが、 それって凄く瞬間的 だったりします。 その「無敵な期間」 を経験していると、 辛いことがあっ た 時に踏ん張れるきっ かけになるんです よね。人の記憶はどん どん流れていっ てしまうので、自分が人々のその瞬 の煌めきを残してあげて、 きっかけに なれたらい いなと思って います。 作品にかける想い 「オチが 取れなかった時」 ですかね。 台本が無いので、 一回の練習でかなり 長い時間カメラを回 しているんで すけ ど、そうい うことって起こるん ですよ ね。帰りの 車の中でうな垂れてます。 その瞬間を撮影できた!と思 っても、 演奏の音と人が話す声の大きさで音 量のバランスも違う ので、音が拾 えて いないなんてことも ありました。毎度 マイクを変えたり、誰か が喋っていた らそこに急で向かうなんてことも しています 。パート練習が一番難しい です。身体 が 一 つしかない ので(笑) ビデオグラファーの苦悩 これからのマーチングに 期待すること マーチングバンドの活動がもっと オープンに なって、 各団体の素晴らしい ショーが丁寧に ブラッシ ュアッ プされて いく過程がもっと見え きたら嬉しい です。マ ーチングのフ ァンもプレイ ヤー も、み んなで応援し合える土壌を作っ て行きたいです。 もっと 「マーチング を 可愛がること」がきるような世界 になって いったら いいなと思い ますね! ま さ き さん ! 教え て ま さ ん ! MASAKI ’s ITEM - 20℃になる極寒の北海道で毎晩天体観測してました。 これにフィルムの一眼レフ付けて写真を始めました。 最初のレンズがこれ(640mm F6.4)って可笑しいですよね(笑) ▲中学生時代に撮影したオリオン大星雲 まさきさんの映像は「人生の無敵な期間」を詰め込んだタイムカプセルのように感じました。 心温まる光景や、心を掴まれるメッセージが盛り込まれた マーチングVLOGを見るのがより一層楽しみですね! Text : Sae Ito ▲VLOG編集中の画面(DaVinci Resolve Studio) SONY FX3 + 24-105 F4 (右) BMPCC 4K + 8-18 F2.8-4 (左) MASAKI ’s ITEM 30年前に祖母に買ってもらった望遠鏡 知床blue Eagles 少人数の強みを生かした、 動くビッグバンドのようなチームで 見ていてすごくワクワクします! まさきさんの “推しバンド” 教えて! Q まさきさんの “好きなもの” 教えて! Q A 北欧調のもの デンマークが好きなんです。 シンプルで温もりのある中に 洗練されたものを感じています。 A 普遍性のあるもの BRAUNのディーター・ラムスさんが 作るような作品が好きです。 何年経っても色褪せない良さが あります。 A GENESIS メディアミックスな団体で 他にはない活動をしていて 面白いと感じています。 また色々な曲をゴリゴリと コラージュしていくようなアレンジが 大好きです! A 「人生の最強の時間を残したい」- MASAKI HARAGUCHI どちらもとても良い色で綺麗に撮れます。 特にFX3は動画用カメラなので ボタンの配置がとても使いやすく、 フォーカスも正確なので 失敗がほとんどありません。

SHUN NISHIMURA KOSUKE NAKAJIMA VESSEL indoor drumline 2022に参加しているお二人にお話を伺いました。 現地で起こった新型コロナウィ ルスによるハプニングや、 お二人が今感じていること、W GIに参加している生の声です。 ■簡単に経歴をお願いします 中嶋 私は京都府の洛西高等学校でマーチングバ ンドに出会い、卒業後にKyoto Ravissant re‘b cに 所属し活動してきました。団体としての活動以外で は、VOXVの全作品に参加しました。担当楽器は、 スネアドラムです。 西村 私は大阪市立文の里中学校でマーチング バンドに出会い、四條畷高等学校に進学、卒業後、 VESSEL2020に参加しましたが、新型コロナウィ ルスの影響で帰国。その後はVOXVへ参加、Kyoto Ravissant re‘b cに所属しました。担当楽器はテナー ドラムです。 ■WGIに参加しようと思ったきっかけは? 中嶋 WGIとの出会いは、高校時代の先輩が見せ てくれた映像でした。当時は「こんなすごい世界が あったんだ!」と別世界のように感じていました。実際 に目指そうと考え始めたのは、reb’cに所属し、一緒 に活動した先輩方の姿を見たからでした。先輩方の showに対する姿勢や、技術力の高さ、この方達を 作り上げてきた環境に興味が湧き、WGIへの挑戦 を考えるようになりました。 西村 私がテナードラムに出会ってすぐの練習に 来てくださった講師の方が、マーチングでアメリカに 行っていた方で、お話を聞かせていただいたんです。 そこで興味を持って、帰宅後にYouTubeでいろんな チームを見て、「自分はここに行かなあかん!」という 確信に近い夢を持ちました。 ■オーディションは、どれくらい受けましたか? 中嶋 私は現地で3団体、ビデオでも2団体受けま した。せっかく挑戦するなら、色々な団体の雰囲気に 触れてみたかったですし、受けたいチームのある州には 複数の団体があったので、受けてみました。どのチー ムにもカラーがありましたが、共通して言われていたの は、「成長し続けていてほしい」ということでした。また、 「コントロール出来ないものではなく、コントロールする ことができる自分自身に目を向けて、常に最高を更 新し続けること」というお話が印象に残っています。 実際に受かっている人はそういう人が多かったです。 西村 2020年はビデオで複数団体受けていました。 ビデオオーディションでは、撮れば撮るほど追い詰め られる感覚もあります。納得がいかなくて何時間も撮 り続けるんですよね。撮影場所によって音が割れて しまったりもするので、環境づくりも大切です。今年度 受けたのは1団体のみでしたが、理由は楽器が用意 できなかったからなんですよね。受けたいチームがあっ ても、パッドでのオーディションが許容してもらえるかどう かは団体によるので、事前に確認し、用意する必要が あります。 ■現地で感じる新型コロナウィルスの影響 中嶋 結構、現地で影響を感じることは多いです。 身近な人が罹ってしまったり、団体の練習自体が無 くなってしまうこともありました。感染者が出たからと いうだけではなく、リハーサルを行う学校自体が急に 閉鎖となり使用ができなくなるケースもありました。 チームによっては、感染者が増えすぎてWGIのエン トリー自体がなくなってしまうこともあり、影響はまだま だ続いている状態です。 ■現地に来てから感じていること 中嶋 これはチーム全体としての課題でもあります が、コミュニケーションを取ることの大切さを感じてい ます。メンバーの一人が、私たちが練習に参加し始 めた時に「このチームに所属したってことは、もう家 族も同然だから、君もその一員なんだよ」と言ってく れたり、人柄の温かさを感じています。 西村 今年度のVESSELは、比較的年齢層も若め で、自分も含めてまだまだ未熟だと感じることが多い です。うまくいかないと感じることが多くて、進んでい ないように感じるのが悔しいです。それでも、ホームス テイ先は第二の家のような感じですし、私も人の温 かさをとても感じています。 ■WGIの本番が徐々に始まりつつある中で… 中嶋 今年度のVESSELはベテランが少ないの で、今までのチームの持つ印象と少し変化している と感じています。まだまだ自分たちのカラーが変化し ていく途中なんですよね。団体にもよると思います が、私たちはプレビューショーを見にいく機会を頂け て、他のチームを見て、刺激をもらいながら、自分たち には何ができるのかを考えています。 西村 今年度指導者が変わったので、2020年に 参加した時とは違う印象を受けています。だから思 い通りにいかないと感じることもあります。やっぱり指 導者によって譜面やショーの雰囲気も大きく変わっ て、まだまだ課題はありますが、一つずつ乗り越えて 行こうと思っています。 ■ファイナルに向けて… 中嶋 今年僕がここに来た意味をすごく考えていま す。未熟な部分もある中で、「このままじゃ終われな い」という想いがあります。上手くいかない時に、何 かのせいにしてしまう瞬間があると感じているので、 常に自分事として捉えていきたい。私は今年でエイ ジアウトで、アメリカに来れるのは最後なので、良い ものにしたいという気持ちはもちろんあるんですけど、 「家族だよ」と言ってくれたこのチームの声に応えら れるように活動していきます。 西村 今の私たちのチームは、一進一退で課題が 多く残っているんですけど、一人一人の想いがなけ ればいいショーはできないので、謙虚に想いを込め て自分にできることをしていきます。チーム一丸と なってショーと向き合えたらいいなと。私自身はまだ エイジアウトではないんですが、中嶋さんがこうして VESSELに来てくれて、最後の年ですし、私自身も いい結果を残したいので頑張ります。 ■最後に今後目指す人たちに向けて 中嶋 私は、アメリカに行きたいと思った時からここに 来るまでに4年かかりました。この期間はずっと前向 きに努力し続けられたわけでは、もちろんなくて…悩 むこともあって言い訳もたくさんしてきました。でも何 が原点にあったのか忘れなければ続けられるんです よね。続けられればいつか形になります。自分の気 持ちに素直に生きて大丈夫です。 西村 いろんな生き方がある中で、今何かに挑戦す ることを迷っている人がいたら、やってみてほしいで す。恥をかけるのも今だけだと思います。一歩を踏み 出さなければ見えない世界が確実にある。自分の気 持ちに嘘をつかず、一歩を踏み出してください。 WGI 挑戦者たちの 「今」 中嶋航佑 西村しゅん Text : Sae Ito

SENDAI Verdures代表。 宮城県マーチングバンド・バトントワーリング連盟理事長 東北マーチングバンド・バトントワーリング連盟理事 一般社団法人日本マーチングバンド協会公認指導員 DCJ公認ジャッジ マーチングとの出会いについて 教えてください マーチングに出会ったのは小学校。 担任の先生がマーチングバンド担 当で、興味を持ったのがきっかけで すね。楽器はトランペットをやりま した。SENDAI Verdure(s 以下バー デュアーズ)には結成した時からいる ので30年目ですね。トランペット、バリ トンやフリューゲルホルンをやった時も あるけど、2002年から2018年まで はドラムメジャーです。 DCIの経験について 教えてください 元々はMadison Scoutsに行き たかったんですけどオーディション落 ちてしまい(笑)、同じウィスコンシン州 のチームで、近かったのでBlueStars に1995年、翌年はPioneerに行き ました。BlueStarsは前の年に日本 人が数名いたんだけど、僕が行った 時は日本人は僕だけ。初めてのドラ ムコーは、何もわからない状態でし た。練習では言ってることはなんとな Text : Kei Tsurumaki なって学校でマーチングバンドを立 ち上げようと思っていたんですが、 バーデュアーズの方が忙しくなって しまいました。それでマーチングは趣 味で、という形に落ち着きました。 97年からは団長になりました。 当時の団長が海の事故で亡くなっ たんですよ。それをきっかけに、「亡く なった団長のために、みんなでもう 一回演奏しようぜ」と、人がたくさん 集まったんです。すごく悲しい出来 事でもちろんショックでしたが、バー デュアーズが一歩も二歩も進んだ 年でしたね。大きな出来事でした。 団の運営で心がけていることは ありますか。 基本的に前向きというか“なんと かしようぜ”っていう意識を持つよう にしています。人が減るって事は「バ ンドに魅力がないから」で、楽しけれ ば人が増えるし、楽しくないと続かな いと思っています。もちろん人が減っ たことに対して原因を考えたり、フィー ドバックはしてます。 本番前の掛け声「いただきます」 について教えてください 初めて全国大会行ったあたりから かな。言いだしたのは僕です。本番 前に集中力を高めるためになんかな いかなと思ってた時、薬局に行った ら、にんにく卵黄の錠剤あるでしょ? あっコレだと思って(笑)「いただき ます!」の掛け声と共に、コレを全員 で飲んでウォームアップを始めるって いうのが恒例化してます(笑)。県大 会ではグランディの駐車場で叫んで。 全国の時も搬入口の前でめっちゃ でかい声で叫んで、飲んで、楽器を 搬入するっていう流れです。コロナ 前はずっとそれですね。やっぱりメン バーにとって気合が入るイニシエー ション(儀式)なんですね。スタッフは 「そんなくだらないことやってないで 練習しようぜ」って思ってるんでしょ うけど(笑)、大人も子どもも同じもの 飲んでデッカイ声を出して奮い立た せるっていうのが良いですね。 これからの バーデュアーズについて バーデュアーズをハブにして、マー チングのいろんなことができるようにな ればいいなと思ってます。バーデュ アーズで「できるようになる」「わかる ようになる」っていう状態を増やす。 例えば演奏技術だったり、フラッグし か触ったことない人がウェポンも触 るようになるとか。今まで東北大会ま でしか行けなかったけどバーデュ アーズに入れば全国に行けるとか。 そういう『何か得られるチーム』にな りたいなと思ってます。 あとはDCI。関東から行く人はたく さんいますけど、東北のチームから行 く人はかなり少ないです。DCIを知っ ていても、「じゃあ行ってみよう」と ならない。バーデュアーズならDCIに 行くチャンスが増えるとか、そんな可 能性を広げられる場所にもなったら 嬉しいです。実際これまで何人も DCIに行ってますし、チャンピオンに なるチームに行くこともありますから。 DCIですごく成長した人は多いし、 いろんな繋がりが出来ます。お互い に高めあえるマーチング仲間が、沖 縄にも岡山にもアメリカにもいるな んて楽しくないですか? マーチングだけに限らないんだけ ど、何かを突き詰めて練習していっ たら、いろんなところに友達ができた り、いろんな場所に行けたりしますよ ね。それって人生を豊かにするファク ターの一つだと思うんです。だって ジャニーズのコンサート会場と同じと ころで演技してるんですよ?そういう ところでショウができる経験って普 通はない。だから若いプレイヤーが そういうのを経験してるのはすごく良 いなって思いますね。 これからの マーチング界について 加盟団体数は多くて盛り上がっ ていると思うんですけど、人数がこれ からさらに少なくなると思いますよ ね。部活動が縮小の方向に行って るから。学校で練習できなくなり、まと められる人がいなくなる。そんな時に 一般バンドにはノウハウがあるから、 学校のバンドは頼ってくれたほうが いいと思いますね。学校バンド・一般 バンドがお互いに連携して、指導に 行くとか一緒に練習するとか、いろ んな繋がりを作って発展いく必要が ある。保護者だけで支えるのは限界 があるんです。演奏演技のスキル をサポートする人と、環境を整える人 がうまく連携をとっていかないと、学校 現場で音楽がどんどんなくなります。 そういう意味でもハブになれればいい ですね。 かったです。やっぱり上手でしたね。 当時は何も考えずに、英語もたいし て勉強せずに行きましたが、何とか なりました。 Pioneerの時、指を挟んで病院で 縫わなきゃいけない状態になった ことがあったけど、その時も何とか なった(笑)英語がそんなにできなく ても問題ないですけど、分かったほう が絶対楽しい。言い回しとかニュア ンスとかは教科書じゃ分からない部 分です。 帰国してからのことを 教えてください 帰国して教員になろうと思い、大 学の夜間学部に入りました。元々は 高専で5年間、建築を勉強してたん ですが、帰国後は昼間は9~17時 でバイトをして、18~21時まで授業 を受けてという生活を2年間やりまし た。教員免許の単位が足りなかった ので、さらにもう1年履修生として過 ごし、教員になりました。もちろんバー デュアーズでマーチしつつ。教員に く分かったんですけど、ドラムコーの ルールだったり、英語でのコミュニ ケーションは最初凄く苦労しました ね。ツアー中はいつも違う場所に泊 まってたんですけど、いつ宿泊先を 出るのか全然把握してなくて、荷物 まとめてバスに積もうとしたら「今日 もここに泊まんだぞ」って言われて 「おうマジか」っていうこともありまし た。当時BlueStarsは人数少ない チームだったので、練習もおおらか で楽しかったです。 2年目のPioneerですが、ここは 日本人が結構多いチームでした。最 初ソプラノで行ったんですけど、 ファーストショウが終ったあとにイン ストラクターに呼ばれて、「人が足り ないからメロフォンやらないか」って 言われたんです。最初は“メロフォン 面白くないかな”と思ってたんだけど、 やってみたらすごい面白かった。音 楽的にどういう役割を果たしている かがよく分かりました。また、ブラスの セクションリーダーがメロフォンにい て、その横で吹けたので、それも面白 Shigenori Aizawa 相沢 茂紀 DCI&WGIマーチ後の 『今』

チーム立ち上げまでの経緯 実は、2015年のDCIに参加した後は、テー マパークダンサーを目指し始めたこともあり、もう カラーガード(以下、ガード)は続けないつもりで した。でも、実際にテーマパークでのお仕事をさ せていただいて、その間にたまたまガードでイベン トに参加した際に驚く事がありました。私が経験 したストリートダンスの表現とガードが混ざり合っ て、音の感じ方と身体表現の感覚が大きく変化 していたんです。今までどれだけ狭い世界でガー ドを認識していたのかを思い知りました。これが私 がガードを再開しようと思ったきっかけでした。 その後、改めてガードとしてのレベルを高める ためにWGIに挑戦し、ぼんやりと自分自身のチー ムを持つことを考えはじめていました。他にも、奈 良にチームが少ないことや、母校が無くなってし まうことなど、色々な理由が重なって2020年ごろ から少しずつ立ち上げの構想が生まれました。 オンラインサロンとの出会い 構想が生まれてからも、ただ考えているだけの 時間が続きました。その頃、友人に誘われてマー チングのオンラインサロンに入ったんです。そこ にはチームやユニットを立ち上げた方、運営や指 導をされている方など全国各地で活動をされて いる方々がいました。そんな方々の話を聞いて 「自分ももっと挑戦しよう!」「本気でチームを立ち 上げよう!」という気持ちが大きくなりました。セッ ションの時間を利用して、自分自身の思い描く チーム像を話すと、アドバイスやアイディアをくだ さる方もいて、常に肯定的に応援し支えてくれま した。その支えがあって、今、チームを立ち上げら れたと思っています。ここに入ってなければチー ムを作りたいと思うだけで絶対行動してなかった と思うので、サロンとの出会い、サロンメンバーと の出会いがあってのHOT KINGSです! チーム名の由来 “HOT”は、永続的に話題になるような、大人 の色気を持ったチームになりたい!と思ってつけま した“。KINGS”...は、もちろん、「王様」という意味 ですね (笑)攻めてるなって思います。でも、あまり つけている団体もありませんし、私自身の決意も 込めてつけました! カラーガードチームならではの良さ ガードしかいないので、マーチングに比べると 魅せる形の自由度が増えていると思います。もち ろん最近はマーチングバンドも自由になってきて いると思いますが、演奏をしている姿が必ずある ので、ガードチームの方が身体表現の自由度の 高さがあると感じています! 想い描くチームの未来 HOT KINGSが、憧れられるようなチームに なったらいいなと思います。憧れて、入りたくなる ような、そんなチームを目指しています。SNSで は、一人一人にフォーカスを当てた投稿をしなが ら、チームも個人も輝く活動をしていきたいです! 私が感じた衝撃と可能性を体現していきたい と思っているので、ちょっと今までのガードに飽き てきたと言う人、さらに一歩挑戦したい人、ガード をやった事がない人でもダンスが好きなであれ ば、ぜひ入ってもらえたら嬉しいです! 「この曲のイメージがこうだから」と考えるので はなくて、踊っている時に自分が一番素直になれ て、「感じたまま心を動かせるガード」が今の私の 理想です。 今後の活動について 今は、MIX3に向けてショーを作っています。こ のショーで私たちを知ってもらってからメンバーの 募集を開始しようと思っています。メンバーを集め たら、映像作品を制作していきながら、各種イベ ントに参加するような感じで、エンターテイメントに 特化した活動をしていきます!イベントの出演依 頼もどんどん受けていきたいです。ぜひご一報い ただけたら嬉しいです! まだ始まったばかりのHOT KINGSですが、 応援よろしくお願いします! 山村陽平 2010~2012 天理教校学園高等学校 2015 DCI The Cavaliers 2020 WGI Paramount 2020 The Capras 2021 Kyoto Ravissant reb’c Indoor Drumline 2017~2019 関西大手テーマパークで活動 2022 カラーガードチーム「HOT KINGS」を 立ち上げた 2022年、 カラーガードチームが奈良県に誕生! 代表の山村 陽平さんに 想いをお聞きしました。 チーム立ち上げに 挑戦する Text : Sae Ito Y O H E I Y A M A M U R A - H O T K I N G S 能 可 性 を 。 い た き い て げ 広

2016~2018 The Bluecoats(DCI) 2018~2019 Broken City Percussion(WGI) Pearl / Vic Firth Artist Re:Z⓪NEs™ Producer アメリカでマーチをしていた2016年 頃からインドアドラムラインのチーム を立ち上げたいと考えていました。 「さぁ、チームを立ち上げよう!」と、 具体的に必要なモノやコトを考えて みると、楽器の調達や練習場確保 に大きなハードルがあることが分か りました。まず楽器を揃えないといけ ない。その為に多額の資金が必要 になることが分かって止まっていまし た。そんな中、スリークロスは、小規模 でも活動できるものだったので、ス リークロスチームを立ち上げて出場 しました。 2020年10月頃にマーチング祭 さんから、「MIX3™/スリークロス」が 立ち上がることと、ドラムラインのプロ モート動画作成のお話があって、僕 はベースドラムアンサンブルでプロ モート動画を創りました。最初は、 ベースドラムアンサンブルのメンバー で出たいと考えていたんです。でも スケジュールが合わず、出場できな い状況がありました。それでも諦め きれず、マーチングサロン内で話をし ていたところに「じゃあ、やってみま せんか?」と、伊藤紗瑛さんが声をか けてくれたんです。それなら、「ドラム ラインだけではなく、ガードも一緒 に!」ということになり、2021年2月に 「Re:Z⓪NEs™」(以後、レゾネス) が立ち上がりました。 楽器の運搬が大変でした。公園 で練習していたのですが、(当然で すが)毎回楽器を運ばないといけな い。他にも、もっとやりたいことがある のに、実際の練習の準備や運営に 手がいっぱいで取り組めない。思い ついたのにできないもどかしさもあり でしょうか。 「どうしてチームをつくりたいのか」 を聞きますね“。創りたいものがある” という強い気持ち、信念があればい いと思います。やってみなければ分 からないことはいっぱいあります。 実際に「レゾネス」を立ち上げてみ て気づいたことがありました。私の 場合、実はチームのビジョンはなくて、 まず「創りたい作品」のイメージが あって、その次にチームがあったん ました。大変なことだらけでしたが、 創ってきたものを第三者に観ても らって、感想やコメントなどを頂いた ときは、すごく嬉しかったですね。 スリークロスに小規模チームで出 場するところから始めると良いと 思います。毎年少しずつ楽器を買い 足して、機材環境を整えていくことが できれば、インドアドラムラインチーム が出来上がっていくと思います。 カタチになるのに5年くらいはかかる です。「30m×30mのマーチングで “良し”とされないものの可能性を見 出す場所」をつくりたかった。先代が 築き上げてきたものを真似るだけで なく、この場所をキッカケに新たな選 択肢を増やすこと。レゾネスでは 演劇の様な演出を組み込み、譜面 を“演奏する”のではなく“、セリフの ような演奏表現”に挑戦しました。 レゾネスを立ち上げてスリークロス に出場したのは、「30m×30mでは 伝わりづらい表現方法やアイデアも 伝えることが出来る」というのも大き な理由でした。 いくつかあります。まず、団体運営 に対する見方が変わりました。今、 「どこ」に力を注いでいるのかが分か るようになりました。次に、ショウ全 体を創ってみて「ショウを創るトップ の人が何を意図して創ったのか」を 考えるようになりました。他にも、ス リークロスの後日に独自公演を開催 したこともあって、「本番をつくる大 変さ」が分かりました。「どうしたら観 に来てもらえるか」「居心地の良い 安心できる空間を創れるのか「」来 て良かったと思ってもらえるか」だけ でなく、公演までのプロセスやその 後の流れをどう組み立てるかも非常 に重要だと感じました。また、一人 の力では限界があります。 「頼れる人がどれだけいるのか」 「どのように役割を分担するか」など、 様々な積み上げがあって「本番」が成 り立っていることがよく分かりました。 「自分らしさを大切に」 私は表現活動をする上で“自分 らしさ”とは何か?を、いつも考えてい ます。私の中で強く感じていることは、 「自分らしく生きている人は何をして いてもイキイキしている」ということ。 そして、自分らしく生きている人の演 技や作品、素振りには言葉では言 い表せない「心にグッとくる“何か”」 があります。これこそが表現者として の一つのゴールであり、永遠に追 求し続けられるモノだと思います。 他者がつくる正解も大事だけれ ども、それはきっと表面的なものだと 思います。自分の心が想う「好き!」 「これだ!」「何か分からないけれど 惹かれる」など、より本質的な、素直 に出た心の声や直感を大切にして ほしいと思います。 チームの立ち上げを通して「なぜチー ムをつくりたかったかがみえてきた」 という言葉が印象的だった。 チームを立ち上げる動機はさまざま だ。「こんなショウがつくりたい」が 動機になる例として、貴重なインタ ビューとなった。次世代よ、集え。 チーム立ち上げから 独自公演までをしてみて、 変わったことはありますか? 次世代に向けて 伝えたいことはありますか? Text : Satoshi Moromi スリークロスチーム 「Re:Z⓪NEs™」立ち上げの 経緯を教えてください チーム立ち上げを、 いつから考えていましたか? 実際に「スリークロス」に 出場するのに、大変だったことは なんですか? インドアドラムラインチームを 立ち上げるには、まず何から 始めると良いと思いますか? 「チームをつくりたい」と 相談されたら、 どのように答えますか? 2021年1月に立ち上がったスリークロス。 すぐ翌月の2月に「Re:Z⓪NEs™」を立ち上げて 出場した森匠勲氏。 日本初のスリークロスチーム立ち上げにはどの様な 背景があったのだろうか。20代だからこその瞬発力、 瑞々しい発想、行動の裏側に迫ってみた。 なぜチームを つくりたかったか、 みえてきた 1st director | Naruhiro Mori 森 匠勲Naruhiro Mori バンドディレ クター特集

前の東京オリンピックのころに 「藤沢市立本町小学校トランペット 鼓隊」として発足したのが始まりで した。当時の鼓笛隊は笛中心で、 小学生のトランペット鼓隊は珍し かったんです。すごく人気があって、 週末には色々なところで本番があり ました。当時は学校の先生方で運 営されていました。今でいう“先生方 の働き方の見直し”や、私の弟(西 貝和男氏)がPTA会長をしていたこ ともあって、学校と地域で話し合い、 検討した結果、生涯学習の一環と して1994年4月に「地域バンド: 湘南ドルフィンズ」(以後:ドルフィン ズ)として再編成し、私が代表に就 任しました。 地域バンドですから、地域の方々 とのつながりやボランティアによって 支えられています。2008年に全国 大会に行くようになってからは湘南 地区外からの参加も多くなり、現在 は約70名で活動しています。 地域バンドにするときに、楽器をど うするかが問題になりました。最初は、 学校から楽器を借りて活動していま した。週末の練習や本番が終わっ たら学校に戻さなくてはいけないの で、月曜日早朝に学校に楽器を戻し ていました。2年間くらい経って、バン ドで楽器を購入しました。バッテリー は新品を買って、金管楽器は中古の ものを探して購入しました。私の弟の お店「ライブハウスクラジャ(」以後: クラジャ)の上の事務所を楽器倉庫 として使わせてもらっています。 ウチは「日本一ゆるいバンド」を目 指しています(笑)練習は自由参加 が基本です。遅刻も早退もありませ ん。それでもちゃんと、自然に揃って いますね(笑)基本は週末の土日練 みには、外で大人がバーベキューを したり、中で子ども達が遊んだりし て、交流の中心地となっています。 こうした活動拠点があるのが、ドル フィンズの特徴だと思います。 ●周りの人に無理をさせない 無理をすると、必ずトラブルが起 きます。無理をすると続きません。無 理は絶対にしないことです。しかし、 全員に対して「無理をするな」と言っ ているのではありません“。中心となる 人だけ”は無理をすることはあります ね。みんなが“うまくいく”ように“、うま く回る”ように、多少無理をすること はあると思います。全体に無理をさ せない、周りの人には無理をさせな い、という意味です。 習のみです。いつも秋葉台文化体育 館の広場や卸売市場の一角、本町 小学校などの屋外で9:00~15:30 まで練習をしています。水曜日の夕 方(16:30~18:30)は「クラジャ」を 開けています。自由参加で練習し たい子達が来て練習しています。お しゃべりして帰る子もいますよ(笑) 合宿は、昔はしていましたが、今は していません。夏休みに一泊二日 で、親睦を深めるための“おとまり会” はしています。 ドルフィンズの拠点となる場所が 「クラジャ」です。ここは、練習場所 でもありますが、交流する場所でもあ ります。水曜日などは、子ども達が練 習をしている横で保護者も来てお茶 したり、練習をみたりしています。夏休 ●メンバー(子ども達)に 無理をさせない メンバーの成長をみながら、適切 な指導を行うという意味です。初心 者に最初から高度なことを求めても できないに決まっています。メンバー のスキルや経験値、状況に合わせ た指導を行うということです。例え ば、4月に初めて楽器を持った子に は、7月までに“ソの音”が、8月までに “高いド”の音が出るようになってい ればいいというように、指導者には 「成長や指導の見通し」を持って指 導にあたってほしいと考えています。 指導者は重要ですね。 ●保護者に無理をさせない 以前は保護者会や係をつくって いましたが、20年くらい前からつくる ことを止めました。保護者に無理を させてしまうことが多かったからです。 この点で言えば「団費」もそうです。 費用をかけないように、経費をかけな いような方法を探しています。ウチは 兄弟でドルフィンズに入ってくる子も 多いです。兄弟二人合わせても、月 の団費が5000円を超えないよう にしています。無理をしては続きま せん。さまざまな面で“、無理をしない・ させない”ように気をつけています。 パートリーダーとか、部長のような 役割はつくらないようにしています。以 前はつくっていましたが、止めました。 子ども達がそれぞれに考えて、動ける ようになって欲しいと考えています。 3月から5月までは引き継ぎ期間と しています。最初はあまり動けないこ ともありますが、だんだんそれぞれが 考えて動けるようになってきますね。 6年生には1年間に2~3回は 本番でマイクを持って話す機会をつ くっています。本番前にこちらで原 稿をつくって6年生に「自分達で、誰 が話すか、どのようにするか、考えて やってね」と伝えて渡すんです。する と自分達でちゃんとやりますよ。子ど も達の姿に、こちらが驚かされること もよくあります。大会だけではダメで すね。いろんな経験を通して成長し ていくんですよね。 マーチングをやっていた時間や経験 が、「宝物」になってほしいと思ってい ます。自分の生きてきた時間の中で、 “マーチングの経験”や”努力した時 間”が原動力になってほしい。「生きる 力」になるといいな、と思っています。 また、マーチングがもっと広まると いいですね。もっと少ない人でも楽 しめるように、取り組めるようになっ て欲しいですね。みんなアマチュア なんだから“、楽しむ”というのが大切 ですよね。大編成のパフォーマンス も良いけれども、小編成のパフォー マンスも良い。それぞれに良さがある と思うんです。大会の結果云々では なくて、マーチングの楽しさが広がる といいですね。 「無理をしない」「5年くらい続けて いくと、理解者や協力してくださる方 が増えてくる。続けることですね。」 「日本一ゆるいバンドを目指していま す」自然体で柔らかな姿勢が印象 的だった。代表である西貝成一氏は 言わずもがな、事務局の西貝和男 氏をはじめとする地域の方々の理解 や協力によって豊かな活動が継続 できていることが感じられたインタ ビューであった。 Text : Satoshi Moromi チーム立ち上がりの経緯を 教えてください。 楽器などは どのように用意しましたか? 練習などは どのようにしていますか? 湘南ドルフィンズの拠点 「ライブハウスクラジャ」 子ども達の成長の為に どのような工夫をしていますか? 読者の皆様に伝えたいことは ありますか? 「チームをつくりたい」と 相談されたら、 どのように答えますか? 前身の小学校鼓笛隊を再編成してできた 地域バンドの「湘南ドルフィンズ」。 再編成当初より30年以上代表を勤めている 西貝成一氏の言葉は「地域バンドの在り方」の 示唆に富んでいた。 2ND director | SEIICHI NISHIGAI バンドディレ クター特集 マーチングの経験が 宝物になってほしい 1950年生まれ。 藤沢市立第一中学校でトランペットを始める。 大学より、プロのトランペッターとして ビックバンドを始めとした様々な現場を経験。 1994年より湘南ドルフィンズ代表を歴任。元公務員。 西貝 成一Seiichi Nishigai 〈湘南ドルフィンズ HP〉

当時は男子校だった大濠高校 (福岡県)に進学しました。元々は剣 道か体操をしようと思っていました。 中学のときから吹奏楽には興味が ありましたが、女子ばかりだったの で...。入学後、吹奏楽部がグラウン ドでマーチングの練習をしているのを 観ました。演奏しながらいろいろな フォーメーションをしていたんです。 「おもしろい!!」と感動し、その日その まま入部しました。1年生の時、大濠 高校が初めて全国大会に出場しま した。その年はグランプリ戦があり、 大会2日目に他高校や一般団体の ショウを観れたんです。そこで衝撃を 受けて、完全にマーチング沼にハマ りました(笑) 高校を卒業したら「DCIに行きた い、憧れのチームでマーチしたい!」 と思っていたので、両親と「2年間だ け」という約束をしてDCIに挑戦し ました。一年目は Madison Scouts (以後:マディソン)にソプラノビュー グルで挑戦したのですが、落ちまし た。兄弟corpsでデビジョンI(I 現: オープンクラス)の「Capital Sound」 というドラムコーがあり、1年目はそ こでマーチしました。翌年もソプラノ ビューグルでオーディションを受けた のですが、落ちました。「どうしてもマ ディソンでマーチしたい、一緒にツ アーを周りたい、クックスタッフでもよ い」と思っていたら、カラーガードと サブメジャーのスポットが空いていた ので、ガードの日本人の先輩に一か らみっちりガードを教えてもらいまし た。全く経験のないカラーガードだっ たので、最初はとても大変でしたが、 カラーガードを経験して更に世界が 広がりました(笑) 小学生の時から「教師になるこ と」が夢でした。アメリカでの2年間 のマーチング後は、教員養成所で マスカウツ、インスパイヤーズ、ヨコ ハマロビンズ、豊田市ジュニアマー チングバンド、愛町吹奏楽団など、 たくさんのバンドを見学して回りまし た。その頃ちょうど、地元福岡で 「マーチングバンドを立ち上げたい」 という人がいたので、徐々に仲間が 集まって立ち上げました。22歳の時 のことです。 人が集まるまでは時間がかかりま した。最初の3年間はとにかく人集 めが大変でした。周りから見れば 「得体のしれないチーム」です。なか なか人が入ってくれなかったです。立ち 2年間みっちり勉強して運良く採用 試験にも合格し、小学校教員になり ました。その年の1月(当時、全国大 会は1月開催だった)に、マーチング 協会の全国大会を観に行きました。 そこで「いずれ誰かが福岡で一般団 体を立ち上げるだろう。じゃあ私が!」 と考えて、チームを立ち上げることに 決めました。 まず、高校の先輩でDCIにいく際 にもお世話になっていた、小島さん に相談して、先輩先生方や楽器屋 さんを紹介していただいたり、繋げて もらったりしました。その後は、ヨコハ 上げた最初の年はなんとか30名ほ ど揃いましたが、ブラスが10名で バッテリーが10名、ガード12名とア ンバランスな編成でした(笑) その一方で、場所には恵まれていま した。その当時指導に行っていた学 校に楽器を保管させてもらったり、 練習場所として使わせてもらったり していました。 運営基盤が落ち着いたのは3年 目からでした。その頃は50名くらい の編成になりました。4年目に、高かっ たのですがフレットJミラーでユニ フォーム(現在のユニフォーム)をつ くり、全国大会初出場を果たすこと ができました。 “つながり”が増えました。マーチン グバンドを通して、さまざまな方々と 繋がりました。そこでいろいろな考え 方や価値観など、たくさんの刺激を 受けることができて楽しいですね。 また“、運営”という視点で物事を 見られるようになりました。どのように 組織をまわしていくか・仕組みをどの ように継続し、引き継いでいくかなど ですね。さまざまな経験があってこそ 思うのですが、こうした活動は人あっ ての活動です。「メンバーの満足 感」というのを、とても考えるようにな りましたね。 ●仲間・理解者・協力者を 集めてください 共に中心となって運営していける 方、5名くらいはいた方がいいです。 ●お金・お酒・異性に 気をつけてください 先輩先生から強く言われたことです。 ●自分が目指すチームに、 足を運んでください “百聞は一見にしかず”です。目指す 姿を実際に観ることは、非常に多く の気づきや学びがあります。また、ど のようにそのチームが立ち上がった のか、運営しているか?という視点で 見学してみることも重要です。実際 に経験している方々からのお話には 多くの含蓄があります。そして、そこ で得た情報や気づき、学びを「自分 の地域に合わせて、変換して生か す」ということも大切にしてください。 (環境や経済環境、練習場所などに は地域性があります。“やり方や仕 組みをそのまま導入”すると、上手く いかないことは多くあります。) ●いろいろなことに チャレンジしてください 困った時は、ぜひ相談してください。 毎年何名か「マーチングバンドを立 ち上げたい」と相談に来る子たちが います。この子たちには、実際に運 営する側になってもらったり、役割を 担ってもらったりすることもあります。 「発表する場」をもっともっと増やし たいですね。ツアーがしたい。ツアー が楽しいんですよね。あと、もっと もっとチームを増やしたいです。 華やかに見えるがその実、とても大 変な重圧がある「代表」という役割。 乗り越えてきたであろう、数々の出 来事と時間が詰まった凄みと生き 様が強く印象に残った。 Text : Satoshi Moromi マーチングとの出逢い アメリカでのマーチ体験 チーム立ち上げはいつから 考えていましたか? マーチングバンドを立ち上げるには、尋常でないエネルギーが必要だ。 資金を準備できれば立ち上げられるという単純なものではない。 九州を代表する一般マーチングバンド 「FUKUOKA Dream Scouts performance corps」の代表である 池田峰貴氏の半生は、並々ならぬ行動力とドラマに満ちていた。 3RD director | MINETAKA IKEDA バンドディレ クター特集 2000 福岡大学附属大濠高校卒業 2000 DCI Div.2 Capital Sound Drum&Bugle Corps 2001 DCI Div.1 Madison Scouts Drum&Bugle Corps 2005 FUKUOKA DreamScouts performance corps創設 現在代表 特別支援学校に勤務 久留米市小学校教育研究会音楽部推進委員 マーチングバンド協会九州支部理事 未来構想委員 池田 峰貴Minetaka Ikeda チームを立ち上げると決めて、 まず何をしましたか? チームを立ち上げてからは どうでしたか? チームを立ち上げて 変わったことはありますか? “マーチングバンドを 立ち上げたい!”と相談されたら 何を伝えますか? もっと先へ 最初の3年間はとにかく 人集めが大変でした

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