マーチングフリーマガジン|Laundry day! vol.3|

当時は男子校だった大濠高校 (福岡県)に進学しました。元々は剣 道か体操をしようと思っていました。 中学のときから吹奏楽には興味が ありましたが、女子ばかりだったの で...。入学後、吹奏楽部がグラウン ドでマーチングの練習をしているのを 観ました。演奏しながらいろいろな フォーメーションをしていたんです。 「おもしろい!!」と感動し、その日その まま入部しました。1年生の時、大濠 高校が初めて全国大会に出場しま した。その年はグランプリ戦があり、 大会2日目に他高校や一般団体の ショウを観れたんです。そこで衝撃を 受けて、完全にマーチング沼にハマ りました(笑) 高校を卒業したら「DCIに行きた い、憧れのチームでマーチしたい!」 と思っていたので、両親と「2年間だ け」という約束をしてDCIに挑戦し ました。一年目は Madison Scouts (以後:マディソン)にソプラノビュー グルで挑戦したのですが、落ちまし た。兄弟corpsでデビジョンI(I 現: オープンクラス)の「Capital Sound」 というドラムコーがあり、1年目はそ こでマーチしました。翌年もソプラノ ビューグルでオーディションを受けた のですが、落ちました。「どうしてもマ ディソンでマーチしたい、一緒にツ アーを周りたい、クックスタッフでもよ い」と思っていたら、カラーガードと サブメジャーのスポットが空いていた ので、ガードの日本人の先輩に一か らみっちりガードを教えてもらいまし た。全く経験のないカラーガードだっ たので、最初はとても大変でしたが、 カラーガードを経験して更に世界が 広がりました(笑) 小学生の時から「教師になるこ と」が夢でした。アメリカでの2年間 のマーチング後は、教員養成所で マスカウツ、インスパイヤーズ、ヨコ ハマロビンズ、豊田市ジュニアマー チングバンド、愛町吹奏楽団など、 たくさんのバンドを見学して回りまし た。その頃ちょうど、地元福岡で 「マーチングバンドを立ち上げたい」 という人がいたので、徐々に仲間が 集まって立ち上げました。22歳の時 のことです。 人が集まるまでは時間がかかりま した。最初の3年間はとにかく人集 めが大変でした。周りから見れば 「得体のしれないチーム」です。なか なか人が入ってくれなかったです。立ち 2年間みっちり勉強して運良く採用 試験にも合格し、小学校教員になり ました。その年の1月(当時、全国大 会は1月開催だった)に、マーチング 協会の全国大会を観に行きました。 そこで「いずれ誰かが福岡で一般団 体を立ち上げるだろう。じゃあ私が!」 と考えて、チームを立ち上げることに 決めました。 まず、高校の先輩でDCIにいく際 にもお世話になっていた、小島さん に相談して、先輩先生方や楽器屋 さんを紹介していただいたり、繋げて もらったりしました。その後は、ヨコハ 上げた最初の年はなんとか30名ほ ど揃いましたが、ブラスが10名で バッテリーが10名、ガード12名とア ンバランスな編成でした(笑) その一方で、場所には恵まれていま した。その当時指導に行っていた学 校に楽器を保管させてもらったり、 練習場所として使わせてもらったり していました。 運営基盤が落ち着いたのは3年 目からでした。その頃は50名くらい の編成になりました。4年目に、高かっ たのですがフレットJミラーでユニ フォーム(現在のユニフォーム)をつ くり、全国大会初出場を果たすこと ができました。 “つながり”が増えました。マーチン グバンドを通して、さまざまな方々と 繋がりました。そこでいろいろな考え 方や価値観など、たくさんの刺激を 受けることができて楽しいですね。 また“、運営”という視点で物事を 見られるようになりました。どのように 組織をまわしていくか・仕組みをどの ように継続し、引き継いでいくかなど ですね。さまざまな経験があってこそ 思うのですが、こうした活動は人あっ ての活動です。「メンバーの満足 感」というのを、とても考えるようにな りましたね。 ●仲間・理解者・協力者を 集めてください 共に中心となって運営していける 方、5名くらいはいた方がいいです。 ●お金・お酒・異性に 気をつけてください 先輩先生から強く言われたことです。 ●自分が目指すチームに、 足を運んでください “百聞は一見にしかず”です。目指す 姿を実際に観ることは、非常に多く の気づきや学びがあります。また、ど のようにそのチームが立ち上がった のか、運営しているか?という視点で 見学してみることも重要です。実際 に経験している方々からのお話には 多くの含蓄があります。そして、そこ で得た情報や気づき、学びを「自分 の地域に合わせて、変換して生か す」ということも大切にしてください。 (環境や経済環境、練習場所などに は地域性があります。“やり方や仕 組みをそのまま導入”すると、上手く いかないことは多くあります。) ●いろいろなことに チャレンジしてください 困った時は、ぜひ相談してください。 毎年何名か「マーチングバンドを立 ち上げたい」と相談に来る子たちが います。この子たちには、実際に運 営する側になってもらったり、役割を 担ってもらったりすることもあります。 「発表する場」をもっともっと増やし たいですね。ツアーがしたい。ツアー が楽しいんですよね。あと、もっと もっとチームを増やしたいです。 華やかに見えるがその実、とても大 変な重圧がある「代表」という役割。 乗り越えてきたであろう、数々の出 来事と時間が詰まった凄みと生き 様が強く印象に残った。 Text : Satoshi Moromi マーチングとの出逢い アメリカでのマーチ体験 チーム立ち上げはいつから 考えていましたか? マーチングバンドを立ち上げるには、尋常でないエネルギーが必要だ。 資金を準備できれば立ち上げられるという単純なものではない。 九州を代表する一般マーチングバンド 「FUKUOKA Dream Scouts performance corps」の代表である 池田峰貴氏の半生は、並々ならぬ行動力とドラマに満ちていた。 3RD director | MINETAKA IKEDA バンドディレ クター特集 2000 福岡大学附属大濠高校卒業 2000 DCI Div.2 Capital Sound Drum&Bugle Corps 2001 DCI Div.1 Madison Scouts Drum&Bugle Corps 2005 FUKUOKA DreamScouts performance corps創設 現在代表 特別支援学校に勤務 久留米市小学校教育研究会音楽部推進委員 マーチングバンド協会九州支部理事 未来構想委員 池田 峰貴Minetaka Ikeda チームを立ち上げると決めて、 まず何をしましたか? チームを立ち上げてからは どうでしたか? チームを立ち上げて 変わったことはありますか? “マーチングバンドを 立ち上げたい!”と相談されたら 何を伝えますか? もっと先へ 最初の3年間はとにかく 人集めが大変でした

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